Profile

ネイリスト紹介

【誕生日】1989年5月18日
【血液型】B型
【趣味】海外旅行・食べること・スキンケアの研究
【好きな食べ物】肉・お米
【苦手な食べ物】パクチー
【好きな飲み物】コーヒー・日本酒・カクテル
【苦手な飲み物】ビール・焼酎・ハーブ系の飲み物
【好きなこと】愛犬(チワックス)・愛猫(スコティッシュフォールド、アメリカンカール)と戯れること、愛犬とドックカフェ・ドックランに行くこと、海でサーフィン、ヨガをすること
【苦手なこと】運動
【好きな生き物】犬・猫
【好きなファッション】アンティーク・ボヘミアン・ナチュラル
【好きなネイル】肌色に合わせたニュアンス・シンプルアート

生まれてから今までの経緯

<幼少期>
両親が共働きだったので、祖母が母親の代わりをしてくれました。絵を描くことが大好きだった私はよく“目が大きく可愛い洋服を着た女の子”を描いて先生に褒めてもらいました。

この時から美容に興味を持ち始め、母にリップクリームを塗ってもらったりしていました。このことが嬉しくて、こっそりリップリームを保育園に持っていき、先生に見つかり怒られることもありました。怒られるたびに「早く大人になって沢山メイクしたい!」という思いが大きくなっていったのをよく覚えています。年長の時には、クラシックバレエを見て、「キラキラして綺麗!」と思い、すぐに両親にお願いしてバレエを習い始めました。

<中学校>
人に喜んでもらうことが大好きでよく妹と休みの日にパンを作ったり、お菓子を作ったりして親戚や友達に配っていました。祖母の影響で編み物や裁縫にハマってペットの服を作ったり、マフラーを編んでプレゼントをしたりと手先を使うことに自然とハマっていました。この時から「将来は人が喜ぶ仕事がしたい!」と思っていました。

小学校の頃から勉強は苦手でしたが、優等生の友達ができ、突然に勉強をするようになります。部活には行かず、塾に行く毎日でした。そのおかげで高校受験も絶対に受からないと言われていた第一志望の高校に無事合格することができ「努力してよかった!諦めなくて良かった!」と思い、とてもホッとしました。

<大学生>
料理が好きだったことから金沢を離れ名古屋にある栄養士の大学に入学。入学当初80kgの体重があったので、オシャレとは程遠い人間だと思っていました。周りの友達が自由にオシャレを楽しんでいるのを見ながら「いいな〜。私もミニスカート履きたいな。」と憧れを抱いていました。

美容院に行った時にたまたま併設のネイルサロンを紹介してもらい、初めてネイルをしてもらいました。その時、今まで抑えていた美容への気持ちが、「ぶわぁー!」と、ネイルをきっかけに一気に溢れ出てきました。

「ジェルネイルって小さくて目立たない。他の人には気付かれないかもしれないけど、逆に自分だけが楽しめるおしゃれができるかも!」と太っている自分に自信がなく、目立つことに恥ずかしさを感じていた私でしたが、ジェルネイルで綺麗になったネイルを見て毎日ウキウキしている自分が想像でき嬉しくなりました。

私の小さな短い爪がどんどん可愛くなって「こんなに小さな私の爪でも可愛くなれる!自分らしいおしゃれができる!」と感じたと同時に初めておしゃれを心の底から楽しめた瞬間でした。

美意識にも火がつき、ダイエットにも本気でチャレンジしました。なんと!5ヶ月で20kgの減量に成功!「やっと私も“普通の女の子”としての生活ができる!」と喜びました。

しかし…はじめての一人暮らし、慣れない大学生活で精神のコントロールができなくなり過食症に。「食べ物をみるのが怖い…」と思うようになり大好きだった料理もできないくらいの精神状態でした。栄養士としての就職を諦め、この時に人生で初めての挫折を味わいました。

<美容部員時代1社目>
始めに入った化粧品メーカーでは無添加商品を扱っていました。スキンケアだけでなくサプリメントもあり“体の中から綺麗になる”というコンセプトで栄養士の知識も活かせる場でした。

しかし、百貨店フロアの中でも1番忙しいお店だったため、仕事の中心はほぼレジ打ち。お客様との接客時間が限られてしまうことで、「スキンケアを肌で実感していただきたい!いろんなメイク方法を伝えたい!」という自分が理想とする仕事とはかけ離れていました。「お肌やメイクの勉強をもっとしたい!もっと肌に触れていきたい!」と思い、他メーカーへの転職を決めました。

<美容部員時代2社目>
次に入った化粧品メーカーは高級化粧品を取り扱うメーカーでした。入ってすぐに研修センターに約2週間ほど缶詰状態。その中でスキンケアやエステ、顔タイプにあったメイクレッスンを学ばせていただきました。特に接客に関しては高級化粧品を扱う上で徹底的に練習しました。4人部屋で朝から晩まで毎日地獄のような研修でしたが、今振り返るとこの研修が今の接客に役立っていると思っています。
実際に美容部員として現場で働く中で感じたことは”自分に合った方法をみんな知らない…”ということ。お客様のご希望は「人気の芸能人のマネをしたい、友人が使っているから欲しい。」実際同じようにメイクをしても何か違う…。ということがよくありました。「誰かのマネをすることは決して自分に合った方法ではない」とこの時から気づいていました。

<新たな道へ>

ネイリスト検定1級の勉強のためスクールに通っている頃「誰かに自分のスキルを教える仕事って素敵だな。」と思い始めました。それと同時に「私のように30歳を過ぎてネイルを勉強し始めた人が就職できる場所がないでは?」と気が付いたのです。
そこで「私ができることは、自分の知識を使ってお客様に綺麗になる方法を伝えていくこと。将来はネイルスクールを開講して自分の知識をネイリストに伝え、活躍できる場を作ってあげたい。」と思うように。

ある日、勉強のためにネイルサロンに行った時「可愛い!」と思ったデザインをいざやってみると…「なんか似合わない…。くすんでしまう…。肌の色が悪いことで、手元が老けて見える…。」ということが起きました。美容部員時代に言われた「1番年齢を表す場所は手元」ということをふと思い出しました。このことがきっかけに、「私が今まで学んできたメイクをする時の色選びや老けない肌作りの知識を通して、お客様に貢献できるのではないか?」と考え始め、ネイルにその知識を応用することにしました。

<nail salon LUNA(ルナ)をオープン>
「お客様のお好きなカラー・デザインを言われた通りに施術する」という従来のネイルサロンの考えから「お客様に似合う、そしてより自分を美しく見せてくれるネイル」をご提案できるサロンにしたいと思いnail salon LUNA(ルナ)をオープンしました。

<誕生>
3人兄弟の長女として誕生。親戚の中で唯一の女の子だったため、大変可愛がられました。

<小学校>
習い事はクラシックバレエ、塾、スイミングをしていました。特にバレエは大好きで発表会に出るたびに舞台メイクをしてもらうことやフリフリの衣装が着れることにウキウキしていました。

この頃、少し太っていて、太っていることにコンプレックスを感じ始めていました。バレエの発表会では、「私なんか一生メインとして踊ることができない…」と思っていました。メインで踊っている先輩に強い憧れを待ちながらも、限界を感じて5年生の頃にバレエをやめてしまいました。

6年生になると反抗期に突入。メイクやファッションにも目覚め、自分でメイクをしてみたり短いスカートを履いて学校に行くようになりました。

<高校生>
入学当初、卒業後は調理師専門学校に行くつもりでしたが、友人の影響で大学に行きたいと思い始めます。「絶対に学年1位になってやる!」と猛勉強し学年でトップクラスの成績を取り続けた結果、2年生からは特別進学クラスに入ることができました。

科目は特に生物が大好きで細胞分裂など教科書の絵を模写するように。それを見ていた周囲からは美大に行くことを勧められたりもしました。でも私は「美大は才能がある人が行くところ。私なんて才能もないから努力で普通の大学に行くことが精一杯。」と思っていました。

第一志望の大学は模試でE判定を取り続けましたが「努力すれば大丈夫!」とここでも私の根性論が活かされ無事第一志望に合格することができました。

<挫折>
大学卒業後は実家に戻り、治療の日々。気づけば体重も100kgを超え糖尿病にもなってしまいました。担当医師から「今なら治せる可能性がある」と言ってもらい、このことで「自分を大切にできていなかった」と気がつき、ダイエットを開始。約40kgの減量に成功したことで、糖尿病も完治しました。

<就職>
「美容の世界に行ってみたいな」と憧れはあったものの、結局は地元の団体職員に。しかし、諦められない気持ちからネイルスクールに入学。平日はOL、休日はネイルスクールと多忙ながらも充実した日々を送っていました。

<美容業界へ>
ネイリストとして働けるくらいには十分な資格を取得していました。ですが、今まで安定した仕事をしていた分、ネイリストとして転職するというハードルはとても高く感じました。
その時、美容部員という仕事を知り「美容部員ならネイルもできる!」と思い興味を持ちました。ここから憧れだった美容業界に入ることになります。

 

<留学を決意>
他県への異動の話が出てきた頃、このままの大好きな美容部員の仕事を続けたいという気持ちが強くありました。そして、同時に「海外で美容サロンでネイリスト、アイリスト、エステティシャンを同時に全部やりたい!日本でできないことをチャレンジしたい!」と考えるようにもなりました。年齢的ににビザを取るチャンスが30歳までと知り、退職を決意。

<コロナで無職に>
アイリストの学校に通いながら、オーストラリアへの留学まであと1ヶ月。そのタイミングでコロナウイルスの影響で入国ができない状態に…。オーストラリアにいつ行けるかわからない中、「今できることを前向きにやってみよう!」とプログラミングスクールに入学、ヨガインストラクターの資格を取ったり、ネイルのスキルアップ、アロマセラピストの勉強も始めました。

<誕生>
3人兄弟の長女として誕生。親戚の中で唯一の女の子だったため、大変可愛がられました。

<幼少期>
両親が共働きだったので、祖母が母親の代わりをしてくれました。絵を描くことが大好きだった私はよく“目が大きく可愛い洋服を着た女の子”を描いて先生に褒めてもらいました。

この時から美容に興味を持ち始め、母にリップクリームを塗ってもらったりしていました。このことが嬉しくて、こっそりリップリームを保育園に持っていき、先生に見つかり怒られることもありました。怒られるたびに「早く大人になって沢山メイクしたい!」という思いが大きくなっていったのをよく覚えています。年長の時には、クラシックバレエを見て、「キラキラして綺麗!」と思い、すぐに両親にお願いしてバレエを習い始めました。

<小学校>
習い事はクラシックバレエ、塾、スイミングをしていました。特にバレエは大好きで発表会に出るたびに舞台メイクをしてもらうことやフリフリの衣装が着れることにウキウキしていました。

この頃、少し太っていて、太っていることにコンプレックスを感じ始めていました。バレエの発表会では、「私なんか一生メインとして踊ることができない…」と思っていました。メインで踊っている先輩に強い憧れを待ちながらも、限界を感じて5年生の頃にバレエをやめてしまいました。

6年生になると反抗期に突入。メイクやファッションにも目覚め、自分でメイクをしてみたり短いスカートを履いて学校に行くようになりました。

<中学校>
人に喜んでもらうことが大好きでよく妹と休みの日にパンを作ったり、お菓子を作ったりして親戚や友達に配っていました。祖母の影響で編み物や裁縫にハマってペットの服を作ったり、マフラーを編んでプレゼントをしたりと手先を使うことに自然とハマっていました。この時から「将来は人が喜ぶ仕事がしたい!」と思っていました。

小学校の頃から勉強は苦手でしたが、優等生の友達ができ、突然に勉強をするようになります。部活には行かず、塾に行く毎日でした。そのおかげで高校受験も絶対に受からないと言われていた第一志望の高校に無事合格することができ「努力してよかった!諦めなくて良かった!」と思い、とてもホッとしました。

<高校生>
入学当初、卒業後は調理師専門学校に行くつもりでしたが、友人の影響で大学に行きたいと思い始めます。「絶対に学年1位になってやる!」と猛勉強し学年でトップクラスの成績を取り続けた結果、2年生からは特別進学クラスに入ることができました。

科目は特に生物が大好きで細胞分裂など教科書の絵を模写するように。それを見ていた周囲からは美大に行くことを勧められたりもしました。でも私は「美大は才能がある人が行くところ。私なんて才能もないから努力で普通の大学に行くことが精一杯。」と思っていました。

第一志望の大学は模試でE判定を取り続けましたが「努力すれば大丈夫!」とここでも私の根性論が活かされ無事第一志望に合格することができました。

<大学生>
料理が好きだったことから金沢を離れ名古屋にある栄養士の大学に入学。入学当初80kgの体重があったので、オシャレとは程遠い人間だと思っていました。周りの友達が自由にオシャレを楽しんでいるのを見ながら「いいな〜。私もミニスカート履きたいな。」と憧れを抱いていました。

美容院に行った時にたまたま併設のネイルサロンを紹介してもらい、初めてネイルをしてもらいました。その時、今まで抑えていた美容への気持ちが、「ぶわぁー!」と、ネイルをきっかけに一気に溢れ出てきました。

「ジェルネイルって小さくて目立たない。他の人には気付かれないかもしれないけど、逆に自分だけが楽しめるおしゃれができるかも!」と太っている自分に自信がなく、目立つことに恥ずかしさを感じていた私でしたが、ジェルネイルで綺麗になったネイルを見て毎日ウキウキしている自分が想像でき嬉しくなりました。

私の小さな短い爪がどんどん可愛くなって「こんなに小さな私の爪でも可愛くなれる!自分らしいおしゃれができる!」と感じたと同時に初めておしゃれを心の底から楽しめた瞬間でした。
美意識にも火がつき、ダイエットにも本気でチャレンジしました。なんと!5ヶ月で20kgの減量に成功!「やっと私も“普通の女の子”としての生活ができる!」と喜びました。

しかし…はじめての一人暮らし、慣れない大学生活で精神のコントロールができなくなり過食症に。「食べ物をみるのが怖い…」と思うようになり大好きだった料理もできないくらいの精神状態でした。栄養士としての就職を諦め、この時に人生で初めての挫折を味わいました。

<挫折>
大学卒業後は実家に戻り、治療の日々。気づけば体重も100kgを超え糖尿病にもなってしまいました。担当医師から「今なら治せる可能性がある」と言ってもらい、このことで「自分を大切にできていなかった」と気がつき、ダイエットを開始。約40kgの減量に成功したことで、糖尿病も完治しました。

<就職>
「美容の世界に行ってみたいな」と憧れはあったものの、結局は地元の団体職員に。しかし、諦められない気持ちからネイルスクールに入学。平日はOL、休日はネイルスクールと多忙ながらも充実した日々を送っていました。

<美容業界へ>
ネイリストとして働けるくらいには十分な資格を取得していました。ですが、今まで安定した仕事をしていた分、ネイリストとして転職するというハードルはとても高く感じました。
その時、美容部員という仕事を知り「美容部員ならネイルもできる!」と思い興味を持ちました。ここから憧れだった美容業界に入ることになります。

<美容部員時代1社目>

始めに入った化粧品メーカーでは無添加商品を扱っていました。スキンケアだけでなくサプリメントもあり“体の中から綺麗になる”というコンセプトで栄養士の知識も活かせる場でした。

しかし、百貨店フロアの中でも1番忙しいお店だったため、仕事の中心はほぼレジ打ち。お客様との接客時間が限られてしまうことで、「スキンケアを肌で実感していただきたい!いろんなメイク方法を伝えたい!」という自分が理想とする仕事とはかけ離れていました。「お肌やメイクの勉強をもっとしたい!もっと肌に触れていきたい!」と思い、他メーカーへの転職を決めました。

<美容部員時代2社目>
次に入った化粧品メーカーは高級化粧品を取り扱うメーカーでした。入ってすぐに研修センターに約2週間ほど缶詰状態。その中でスキンケアやエステ、顔タイプにあったメイクレッスンを学ばせていただきました。特に接客に関しては高級化粧品を扱う上で徹底的に練習しました。4人部屋で朝から晩まで毎日地獄のような研修でしたが、今振り返るとこの研修が今の接客に役立っていると思っています。
実際に美容部員として現場で働く中で感じたことは”自分に合った方法をみんな知らない…”ということ。お客様のご希望は「人気の芸能人のマネをしたい、友人が使っているから欲しい。」実際同じようにメイクをしても何か違う…。ということがよくありました。「誰かのマネをすることは決して自分に合った方法ではない」とこの時から気づいていました。

<留学を決意>
他県への異動の話が出てきた頃、このままの大好きな美容部員の仕事を続けたいという気持ちが強くありました。そして、同時に「海外で美容サロンでネイリスト、アイリスト、エステティシャンを同時に全部やりたい!日本でできないことをチャレンジしたい!」と考えるようにもなりました。年齢的ににビザを取るチャンスが30歳までと知り、退職を決意。

<コロナで無職に>
アイリストの学校に通いながら、オーストラリアへの留学まであと1ヶ月。そのタイミングでコロナウイルスの影響で入国ができない状態に…。オーストラリアにいつ行けるかわからない中、「今できることを前向きにやってみよう!」とプログラミングスクールに入学、ヨガインストラクターの資格を取ったり、ネイルのスキルアップ、アロマセラピストの勉強も始めました。

<新たな道へ>
ネイリスト検定1級の勉強のためスクールに通っている頃「誰かに自分のスキルを教える仕事って素敵だな。」と思い始めました。それと同時に「私のように30歳を過ぎてネイルを勉強し始めた人が就職できる場所がないでは?」と気が付いたのです。
そこで「私ができることは、自分の知識を使ってお客様に綺麗になる方法を伝えていくこと。将来はネイルスクールを開講して自分の知識をネイリストに伝え、活躍できる場を作ってあげたい。」と思うように。

ある日、勉強のためにネイルサロンに行った時「可愛い!」と思ったデザインをいざやってみると…「なんか似合わない…。くすんでしまう…。肌の色が悪いことで、手元が老けて見える…。」ということが起きました。美容部員時代に言われた「1番年齢を表す場所は手元」ということをふと思い出しました。このことがきっかけに、「私が今まで学んできたメイクをする時の色選びや老けない肌作りの知識を通して、お客様に貢献できるのではないか?」と考え始め、ネイルにその知識を応用することにしました。

<nail salon LUNA(ルナ)をオープン>
「お客様のお好きなカラー・デザインを言われた通りに施術する」という従来のネイルサロンの考えから「お客様に似合う、そしてより自分を美しく見せてくれるネイル」をご提案できるサロンにしたいと思いnail salon LUNA(ルナ)をオープンしました。